2018年は上州群馬伝来の食の小咄でした。『ぐんまの伝統食』と『聞き書群馬の食事』の2冊の本をたよりに、一方的にお伝えしした1年。
店主のコメント
==八百屋になって知ったことはたくさんあるのですが、そのひとつが地域による野菜と食文化の驚くばかりの多様さ。スーパーでなんでも買える時代になるまでは、手に入る食べものの種類や量はその土地の気候風土に大きく左右され、そのことがけっして貧しさではなく、びっくりするほど豊かな食文化の花を各地に咲かせていたのでした。群馬でも山と平野、川筋、渓谷沿い、山の南麓と北麓などでじつにさまざまな食文化があり、郷土の味として伝えられています。==

上州は昔から「かかあ天下」と言われますが、お米のとれない土地柄だったことも大きく影響しています。食の中心は小麦で、上州の主たる産業は養蚕でした。桑畑とおかいこさまの世話は女性たちも含めた家族総出の仕事で、上州名物のおっきりこみはそんな女性たちの「時短料理」でもあったのでした。
ひらべったく幅広に切ったうどんを茹でずに、汁の中に直接入れて煮るのがおっきりこみです。今の季節は芋やにんじんやごぼうなどの根菜たっぷり、そして小麦が溶け出した汁は熱々で冷めにくく、心も身体もポカポカに温まります。これを「うまいんね~」と言いながら食べるのがかつての上州の“おいはん(お夕飯)”の日常風景でした。

日本海から吹き寄せた風は新潟の山々に大雪を降らせ、そして乾燥した空っ風となって上州の平野に吹きおろします。そのため、群馬の冬の日照時間の長さは全国でも有数。この気候風土が小麦の二毛作、三毛作を可能にし、粉ものを常食とする群馬の食文化を生み出しました。
なかでも有名なのが「やきまんじゅう」。長い竹串に4つのまんじゅう。こんがり焼いたところに味噌ダレをつけ、大きな口でほおばります。口の周りに味噌をつけ、ムシャムシャ食べた思い出がない上州人はまずいないのではないでしょうか。
これを食べたたいていの県外人は「うーん、まんじゅうっていうか、蒸しパンだよね、これ」と言います。上州人にとっては、まんじゅうかパンかはどうでもいいんです。やきまんじゅうはあくまで「やきまんじゅう」。大きいわりにふわっと軽く、いくらでも食べられる郷土の伝統食なのです。

季節はいよいよ立春を迎えます。立春の前日が「季節を分ける日」である節分です。寒い冬を耐え忍ぶ山村において、立春と節分はおめでたい日。群馬県の多くの地域でこの日はごちそうをとる習慣が言い伝えられています。といってもセブンイレブンのなかった時代のこと、自宅でいつものおっきりこみではなく、里芋、にんじん、ごぼう、こんにゃくなどがたっぷりのけんちん汁とお米のごはん。これがごちそうだったようです。白ご飯といわしに、いつもの味噌汁ではなく澄まし汁という地域も。澄まし汁にたまごをおとし、子どもたちが「よそゆきごはん」と言って喜んだとか。
また、豆まきした残りを神棚や荒神様(炉の神)に捧げ、初雷のときに食べるという習慣も山間部で見られます。じつは雷は空気中の窒素を変化させ、土壌を豊かにすることが知られており、昔の人は雷が多いと豊作になることを経験から知っていたのだろうと思います。

群馬の南西部・多野地域でずいぶん昔に食べられていたという「小豆ぼうと」。かわいい名前が印象的な、「粉もの王国のお汁粉」です。すなわち、おっきりこみの入ったお汁粉!上州ではもち米が希少だったため、おっきりこみやすいとんを使ってお汁粉を作ったのですね。つばくろで扱っている農家さんの小麦粉と天日干しした小豆で作ってみたら、「ぼってり」とした味は甘すぎず、優しく、どこか懐かしい。「農作業やスポーツのあとに食べたらおいしいだろうなあ!」と思いました。
子どもでも生活習慣病になってしまう今の世の中、こんなおやつこそ、最高にぜいたくな一品なのかもしれません。

養蚕が盛んだった群馬県では、旧正月に米粉をまるめた繭玉をつくり、養蚕の豊作を願って木に刺して飾りにしたそうで、今でも東吾妻地方などでは伝統行事として引き継がれています。最近では野菜からの自然な色で着色した色とりどりの繭玉を飾ることも。作り方は簡単。米粉を熱湯で溶いて丸めたあと、茹でるだけ。白くてかわいく美しい繭玉は、正月飾りとしてだけでなく、手軽につくれるおやつとしても人気だったようです。近所の子どもたちのおやつとして、きつい農作業の合間の腹持ちのいいおやつとしても食べられていました。茹で上がった繭玉を砂糖や砂糖醤油で食べると温かくてほのかな甘みが口の中に広がります。米が貴重だった昔はヒエやとうもろこしの粉で作っていたこともあるそうですが、やはり米の白さと甘さが繭玉にはぴったり。豊かな毎日に感謝して、素朴な甘さをいただきたいと思います。
(写真は、群馬県教育文化事業団のHPよりお借りしました)

日本全国にあるたくあんですが、上州群馬でもかつては「おこうこ」と呼ばれ、野菜が少ない冬の貴重な食材として昔から盛んにつくられました。群馬名物空っ風に当ててつくる干し大根は、食べる時期により、干し加減を調節します。1月ごろに食べるものは半月形、4月ごろに食べるものは丸くなるまで、夏まで持たせるなら「のの字」に曲がるまで干したそうです。
古くなったものを油炒めにしてあまじょっぱくして食べる食べ方もあるそうです。
つばくろにも、群馬高崎の栄農園さんから茄子の葉、柿の皮、ウコンと塩で漬けたおいしいたくあんが届いています。甘楽の和ノ屋さんからも入荷するかもしれません。
冬でも生野菜が食べられる現代では、漬けものを刻んでドレッシング代わりにするのも楽しいですよ!ぜひ、大根サラダにたくあん、白菜のサラダに白菜漬けなどを試してみてください。日本伝統の味が新しい魅力を発揮しますよ。

群馬には古くから、磯部温泉の鉱泉水をつかった薄焼きせんべいである「磯部煎餅」がありますが、昭和30年台の洋菓子ブームの中、ふと磯部煎餅にミルククリームを塗ってみたら、「和風なのにモダンな味わい」と大人気に。以来60年間、この、なんということのない、しかし、なんともしみじみおいしい「旅がらす」は上州群馬のロングセラーお菓子になったのです。
ぼくは「旅がらす」の名前も好きで、きっと木枯し紋次郎や国定忠治など、上州の反骨の渡世人たちのイメージだろうと決めつけていましたが、調べたところ、神武天皇東征のとき、熊野で道案内をした八咫烏にちなんでとのこと。群馬とは直接関係なかったんですね…。でも、そういうところもまた、このお菓子らしくて好きなんだなあ。

奥多野の最奥部、長野県との県境に近い群馬県上野村での聞き書きに「ねぎぬた」を見つけました。春、お彼岸のときに振る舞う料理として昔から食べられてきたそうです。
「ここは下仁田のように特別なネギの産地というわけでないから、いつもネギを食べるわけではないけど、雪がとけて新芽を吹いたねぎをふきのとうと同じ春の食材として味わうんです」
冬の間、地面の下でじっと眠っていたねぎは、春の訪れとともに冬の木枯らしで枯れてしまった上の部分から新芽を出します。その緑の部分から白い部分までまるごと全部を味わうのが「ねぎぬた」。
「スーパーのは硬くておいしくない。自分の畑で採れた春のねぎには新芽があるからやわらかくておいしい」
薄く斜め切りしたねぎを熱湯で2分間さっと湯通し。水で戻して食べやすい大きさにちぎったお麩を混ぜ、すりごま、砂糖、酢を混ぜたみそと和える。春到来の一瞬を味わう季節の料理です。

群馬県各地の天神講や秋葉講などのお祭り行事のときに振る舞われたのが「五目飯」。にんじん、ごぼう、油揚げ、干ししいたけなどの具を油で炒め、一緒に炊き込んだり、炊きあがったごはんに混ぜ込んだりします。「昔はかんぴょう、サバやイワシの缶詰も入れた」とのこと。炊事係によって具が変わるのも五目飯の魅力だったようです。さらに昔、昭和初期には「おかずがいらないし、変わりもののごちそうで家族が喜んでくれる」(奥多野)、「めったに食べられないごはんで心待ちな料理」(赤城南麓)といった聞き書きが残されています。
身近な食材と手軽な調理法が、昔も今も人気の伝統食の秘密なのですね。
定番の具材であるにんじんとごぼうはどちらも今が「名残」の時期。おいしさが凝縮しています。また、春の旬を迎えているしいたけ、ねぎなどもオススメです!

今はほとんど見られなくなりましたが、1960年代までは、子どもでも川や田んぼで簡単に採れるタニシは日常的なおかずだったそうです。群馬県東毛地域のいくつもの川に囲まれた板倉町に残る聞き書きには「タニシの旬は春先。油みそにするとやわらかくておいしかった」とあります。茹でたタニシをお酒に漬けてやわらかくしたあと、味噌や生姜や砂糖と一緒に炒めたのだとか。
農薬の使用で大きなタニシは姿を消し、その味は忘れられてしまいましたが、無農薬の田んぼにはすこしずつ大きなタニシが戻ってきています。
じつはぼくも一度だけ食べたことがあります。弟の田んぼで田植えの手伝いをしたとき。お楽しみはあぜでいただくお昼ごはん。その中にタニシのおにぎりがありました。「これ、なんでしょう?」と言われ、食べた人たちがそれぞれ「しいたけ?」「タケノコ?」などと間違えるのを作った人がうれしそうにニヤニヤ。「貝類じゃない?」という声が出て、「タニシだ!」と正解に行きつきました。すると年配の方からは「タニシかあ~」という声。「昔はこればっかだったもんな」と笑うのでしたが、コリコリした食感があり、クセはなくて、ぼくは「とてもおいしいもんだなあー」と感心しきりでした。

桜満開の今、足元に目をやれば、地面のそこかしこに緑色の小さな草が姿を現しています。群馬県桐生市に生まれ育ったあるお母さんは「ヨモギの草もちのあざやかな色を見ると春が来たなあと感じる」と言います。
熱湯にくぐらせることで、あざやかな緑色になるヨモギはこの時期が旬。今でこそヨモギを冷凍しておけばいつでも食べられますが、保存技術がそれほどよくなかった時代には、ヨモギのほのかな苦みとあんこの甘さが調和した草もちは一年でこの時期にしか食べられない「春のごちそう」でした。
ヨモギはお灸のもぐさとしても有名で、古くから日本では食べる、飲む、香りをかぐなど薬用にも用いられたニッポンのハーブ野菜のひとつです。同じく、草もちも地域の春の行事と結びついた郷土の味。大事に受け継いでいきたいものです。こちらでは「ヨモギ」ではなく「もち草」と呼ばれるほど、なじみのある春の野草です。
ちなみに前述のお母さんによれば、あんこは甘すぎないほうがヨモギの味を楽しめるのだそうです。

今日の聞き書きは群馬県南西部の神流川沿いに広がる山里、神流町(かんなまち)にて。その昔、特に山里では冬の間、生野菜を口にすることはなく、野菜といえば大根や白菜の漬けものでした。春になり、久しぶりに口にする青物が山菜で、「どこの家でも食べるのを楽しみにしていた」もの。おひたしやごま和えなどさまざまな食べ方がありますが、春の訪れを祝う特別な「おごっつぉー(ごちそう)」が“つけ揚げ”でした。具材に衣をつけて揚げるからつけ揚げ(天ぷらのことです)。高温の油でさっと揚げると、ふきのとうやタラの芽などはまろやかなほろ苦さに。ノビルやにんじんのかき揚げは甘く、また旬のしいたけやよもぎ、菜花なども加えれば、山里の春を楽しむぜいたくなてんぷら盛りの完成です。

朝から晩まで忙しいかつての農村地帯の聞き書きには、朝食と昼食の間や昼食と夕食の間に「こじゅはん」や「こじはん」と呼ばれる休憩用の食べものがしばしば登場します。春はおやき、夏はとうもろこし、秋はふかしいもといった具合に、おやつとごはんの間くらいの食べものです。群馬北部、奥利根地域の春のこじゅはんについての聞き書きはこんな調子。
「たまに雨が降ると雨っぷり正月といって、春はからだが仕事に慣れるまで疲れるので休みの日とする。こんなときはおやきでもつくれやと、とっちゃんはいう。小豆のあんこを入れたくず米のおやきをつくるのだから、おっかちゃんはやっぱり忙しい。けれど楽しい。学校から帰ってくる子どもたちの顔を思いながら、せっせとつくる」
なんとも味わい深い聞き書きです。
群馬の道の駅などの定番商品になっている現代のおやきは、小麦粉の生地に野菜やみそを混ぜ、丸くして焼いたもの。あんこ入りもあります。こちらもこじゅはんにぴったりの素朴なおやつです。
ちなみに、ぼくも子どものころは朝ご飯を「あさはん」と言っていました。年配の方々は夕ご飯を「おゆはん」や「おいはん」と言ったりもします。

「たけのこと身欠きにしんの煮もの」
日本各地で一般的な田舎料理です。海がなく、生魚が手に入りにくかったかつての上州群馬では、身欠きにしんは手に入りやすい魚の代表で、今でも群馬ではスーパーでも見かける食材です。裏の竹林にたけのこが生えてくると採ってすぐにゆがき、にしんとともに煮つけます。醤油味の地域と味噌味の地域があるようですが、上州群馬の特徴はなんといっても「甘じょっぱさ」。ぼく自身も子どものころから慣れ親しんだ味です。聞き書きによれば、たけのこと身欠きにしんはどちらも田植え時期のごちそうとして多く登場します。田植えが無事終了したことへの感謝と秋の豊作を願ってのごちそうですが、たくさん汗をかいたあとの重要な塩分補給でもありました。最近は健康面から塩分摂りすぎは良くないとされていますが、かつては農作業に勤しむ家族のための甘じょっぱさでもあったのですね。

「フキめし」
お米のほとんどとれない山間地、県南西部の上野村に伝わる伝統食が「フキめし」。ふきのとうが終わって、長い茎と丸い葉が生えてきたら、この茎をごはんと一緒に炊き込むのが「フキめし」。上野村の野生のフキは市販のものと違って茎が太くならず、長さも40cmほどにしかならない品種。「大きくなり過ぎないから柔らかいし、味も中まで沁みる。香りも抜群にいい。だからフキめしは、野生のフキが採れる農村だけの料理なのよ」と、かつての味を再現した村の女性はちょっと得意そうに言います。
昭和の初め頃には、自分たちでは作れず、買うしかなかったお米はとても貴重で、すこしでも「食いのばし」するためにふだんは麦7割の麦めし。白いご飯はお正月などの特別な機会だけでした。フキめしも食いのばしに一役買っていたのですね。昔の人の工夫と、季節ごとの喜びが合わさったお料理です。
GWが明けると、つばくろにもいくつかの農家さんからフキが入荷し始めます。「水フキ」という、細めでやわらかい品種も登場します。山間地の農村でしか食べられないぜいたくな味を再現できるかもしれません。どうぞお楽しみに!

きゃらぶきは群馬県全域で昔から食されてきました。作り方は単純、醤油とみりん、もしくは醤油とお酒で煮つけるだけ。しかし、安中市のお母さんによれば、単純だからこそ難しく、「フキは採る時期が遅くなるほど固くなる。固さによって煮る時間や味付けを調節しないとうまくできない」とのこと。何度も作り、経験を重ねるのがおいしくつくるコツをつかむ一番の方法だそうです。
自家製のきゃらぶきは余計な調味料や保存料が入っていない分、フキの風味がおいしく、ごはんのお供にもお酒の肴にももってこいです。しかも、保存がきき、一年中楽しむこともできます。
また、フキはいろいろな食べ方があり、クックパッドでもたくさんのレシピが出てきます。つばくろでおなじみの和ノ屋さんは、赤ワインとてんさい糖で煮たものをふるまってくれましたが、まるで果物を食べているようなさわやかさでした。

※写真は『ぐんまの伝統食』(上毛新聞社)より。
群馬県南西部の奥多野地域に伝わる「つとっこ」は、もち米に小豆を入れ、栃の葉に包み、割いたしゅろの葉でしばって茹で上げたもの。ちまきに近いお料理で、ふくらんだ蝶のようなかたちの葉っぱをむいて中のおこわを食べると、栃の葉のさわやかな風味が口の中いっぱいに広がります。東日本に昔から自生する栃の木、その大きな葉っぱがまだ若くてやわらかいときがもち米を包むのにちょうどいいそうです。
つとっこは端午の節句に振る舞われる特別なお料理で、子どもたちはふだんは食べられない貴重なもち米と小豆に大喜びしたことでしょう。端午の節句が終わると、上州群馬の各家庭は忙しい養蚕の時期に突入します。農繁期に入る直前、子どもと家族の大切なお楽しみだったのですね。
「つとっこ」という、あまりにかわいい名前の由来は「栃の葉を『摘んで』から」という説や「『包みっこ』から」という説があるようです。

※写真は、はつみ商店さんの「なんもく村のお惣菜プレート」。お赤飯の隣りが「わらびと山椒の炊き込み飯」です。
群馬県桐生市黒保根は赤城山東麓にある風光明媚な山間傾斜地。渡良瀬川沿いをのどかな風情のわたらせ渓谷鐵道が走ります。黒保根前田原地区では庭先に山椒の木を植えている家が多く、山里に薫風が吹く初夏のころ、山椒の実の炊き込みごはんが作られるそうです。「炊き込みごはんにすると香りがツンと来る。子どもには好き嫌いがあるが、年齢を重ねるごとにおいしいと感じる」と山椒の実の成るこの季節をいつも楽しみにしています。山椒の実は収穫できる期間が短く、実がふくらみ始めてから数日間が旬。そこを過ぎると徐々に固くなってしまいます。
おにぎりにすると、独特の食感とさわやかな香りが口いっぱいに広がります。
伝統食は村々の行事を結びついて残っているものが多く、子どもたちを喜ばせるごちそうがたくさん書き残されている印象がありますが、「実山椒の炊き込みごはんのおにぎり」は大人たちが笑顔でほおばる姿が思い浮かぶ郷土料理です。

大豆を搾ってお豆腐や豆乳をつくった搾りかすが「おから」。関東では「卯の花」とも呼ばれます。上州群馬でもおからは全域で昔から食べられてきました。安く大量に作れることから、村々の行事のときなど、たくさんの人が集まるときのお料理として重宝されてきました。こんにゃく、にんじん、ねぎなどの定番の具以外に、ちくわやさつま揚げを入れたり、夏場は日持ちのために梅干しを入れたりと家庭ごとの味の工夫もさまざま。仏事のときはにんじんや干しエビなどの赤い具を抜いたりする配慮もされていたそうです。
近年は需要が減り、家畜のえさとなったり廃棄されてしまったりするほうが多いと言われているのが残念です。「おからハンバーグ」や「おから入り卵焼き」など、ヘルシーで子どもたちも喜びそうなお料理もいろいろ。南牧村のはつみ商店さんでは卵を使ってきれいな「おからサラダ」にしていました。簡単な工夫でいろいろな味わいに変化し、生活を楽しくしてくれる食材です。

「おさなぶり」
「さなぶり(早苗饗)」は田植えを無事終えたあとに振る舞われるごはんのこと。人の手で苗を植えていたころは、隣近所が集まって田植えのための労働力をお互いに補いあう「結(ゆい)」というしくみがあり、田植えが終わると結の仲間たちと神様に感謝をこめて、ごちそうが出されました。『聞書き群馬の食事』に出てくる赤城南麓の百姓家のお母さんは「おさなぶり」と言っています。へっついの神様に苗を供え、白ごはんにうどん、きんぴら、そして先週ご紹介したおからをたくさんつくるのだそうです。
聞き書きによれば、さなぶりは、上州の農家にとっては春蚕、麦の刈り取りと続いた忙しい日々が田植えで一段落し、子どもも大人も待ちわびた「農休み」に入る前のうれしい儀式のようです。子どもは浴衣や「簡単衣」(ワンピースのことだそうです!)を買ってもらって、お小遣いを持って村の雑貨屋へ。大人や若衆(わけえし)は「前橋へ行って、活動写真や芝居を見て楽しむ」というのですから、なんとも微笑ましく、こちらまでニコニコしてしまうような古き佳き情景です。
※写真は弟の田んぼを手伝いにいったときの昼食。田んぼの脇でへっついで炊いたごはんと自家製の納豆。もちろんお米も稲わらも同じ田んぼで去年採れたもの。

小麦の香りと重曹のほのかな苦みが特徴的な炭酸まんじゅうは、上州群馬で昔から広く親しまれてきました。
「夏にお蚕が一区切りすると、きまって炭酸まんじゅうを食べた。子どものころは甘いものがそれほどなかったから、いつも楽しみだった」と前橋の農家で生まれ育ったおばあさんは言います。店主の母親にも聞いてみたところ、「おばあちゃんがよく作ってくれた。重曹の独特の色と香りが好きだった」と懐かしんでいました。口当たり軽く、甘さがあって疲れを癒すにはぴったりのおやつとして、小麦生産が盛んな上州の定番品になったのですね。
★写真はつばくろでも人気の和ノ屋さんからご提供いただきました。ご自分の畑で獲れた小麦や小豆、栗を使ってつくっているおまんじゅうです。見た目も味も幸せなかんじ!

上州人、心の一品。
ごはんの上にカツ。卵でとじてないばかりか、キャベツさえものってない。ごはんとカツがあるばかり。ソースカツと言いつつ、醤油ベースあるいはそばつゆベースの甘じょっぱいタレをくぐらせたカツ。サクサクなのに、噛むと甘じょっぱいタレの味がじゅわっと広がります。
福井や長野など、全国各地のご当地B級グルメに「ソースかつ丼」があるようですが、群馬では大正10年に桐生市のうなぎ屋さんで始まったとする説が有力。「うな重」のイメージをカツ丼に応用したのが始まりだったのかぁと、カツしかのってないあの武骨な姿とぜんぜんソース味じゃない甘じょっぱさを思い出しながら納得しました。
※その後、いろいろなバリエーションも増え、「ソース味」のものや、くぐらせるだけでなく煮込んだものもありますが、おしなべて「ソースカツ丼」と呼ばれています。

※写真は『ぐんまの伝統食』(上毛新聞社)より
上野村は群馬県南西部の山岳地帯。この土地で古くから祝いの席の珍味で出されたのがイワタケ。標高1000m上の険しい岩場に育つコケの仲間だそうです。岩場のわずかな腐葉土や霧から栄養を得てゆっくりと成長し、てのひらサイズに育つまでに100年かかるのだとか。そんな幻の食材は酢のものが最もポピュラーな調理法。クセがなく、特有の歯ざわりで、酢のさっぱりした風味が口の中に広がります。きゅうりだけでなく、にんじんと一緒に和えたり、つぶしたゆで卵をふりかけたりすると彩りもよく、お祝い事にぴったりなのだとか。
イワタケはさすがにつばくろにも入荷したことがありませんが、今はおいしい乾燥キクラゲがあります。きゅうりはもうすぐ旬を迎えて出そろってきます。酢のもので日ごろの疲れを癒してはいかがでしょう。

小麦粉を野菜やみそと一緒にこねて、こんがりと焼いたやきもちは今でも群馬の道の駅の定番アイテム。地域によって具材がすこしずつ変化しますが、安中市のおばあさんの聞き書きには、残りご飯を入れた「飯やきもち」がありました。「昭和10年代、麦飯だったけど、ご飯は貴重で残ったらやきもちに入れた。学校から帰ってこれがあったらもう大満足でした」。ごはんと生地がまざった独特のもちもち食感がおいしく、また食べものが傷みやすくなる夏場に、火を通すことで貴重なお米を無駄にせず食べられるという利点があったようです。
「飯やきもちのように食べものを無駄にしないで育った。今でもお米をとぐときは一粒たりとも流さないようにしています」
伝統食の作り方やおいしさだけでなく、食べものを大切にする心も受け継ぎたいものです。

「冷や汁」
全国各地にご当地冷や汁が伝統食として存在しますが、上州群馬の冷や汁は「氷を入れた味噌汁」のこと。養蚕に忙しい上州では手早く簡単にできることも農家食の大事な条件でした。ごまをすり鉢ですり、味噌と水を加えたところに裏の畑で採ってきたきゅうりと青じそを刻んで浮かべるだけの簡単料理です。ごはんにかけたり、東毛地区ではこれがうどんのつけ汁にもなったそうです。「おいしくて、冷たくて。これを食べると夏が来たと思う」「夏バテで食欲がなくても不思議と冷や汁なら食べられました。
生姜やねぎを加えたり、なすと赤じそをつかったり、砂糖や酢を加えるなど、「流は万流、仕上げはひとつ」と言われ、いろいろあってもどれも「冷や汁」。伝統食の懐の広さ、昔の食文化の豊かさを象徴する一品です。
今週は雨で気温が低かったですが、暑くなってきたらぜひお試しください。

(本からの写真は「ぐんまの伝統食(上毛新聞社)」
群馬県南西部の山村・上野村に伝わる赤いもは高地での栽培に適した在来種。普通のじゃがいもよりも身がしまっていて煮崩れしにくいのが特徴です。この赤いもを甘じょっぱい味付けで味噌炒めにしたものが上野村では昔から茶うけのお菓子の代わりになってきたそうです。米作に向く平地が少なく、砂糖なども貴重だった時代、上州群馬の山村に暮らす人々が麦や芋でさまざまな工夫をしてきた中のひとつです。
「細かいのは油炒め、ちょっと大きめなのはいも串、もっと大きいのは煮ものにと使い分けていた。今ほどモノがある時代じゃないから、なんでも大切にしていた」と当時を振り返る聞き書きが残っています。「子どものころから食べてきた味」を、母も使っていた古い“味噌炒め専用の鍋”で次代に受け継いでいくおばあさんの姿に深い味わいを感じる聞き書きでした。
つばくろにも入荷する赤いもも和ノ屋さんが譲り受けた小さな芋を大切に育て繋ぎ続けてきたおいもです。ほくほくで、まるで栗のような味と香りです。

「鉄火みそ」
※写真はなすとつるむらさきに豚肉を少々加えたバージョン。
なす、ピーマンなどの夏野菜を長ねぎ、青じそなどと油で炒めて、みそや砂糖で味付けしたものが群馬の「鉄火みそ」。農作業がピークを迎えてお料理に手間をかけられないときに簡単に作れる農家ごはん。冷たいものばかり食べてしまいがちな真夏に、火を通した野菜と身体を冷えから守るみそがうれしい。
高崎の桃農家さんだった方のレシピは、梅酢と青唐辛子を加えてさらに暑さに効く工夫がされています。「ヤギが夏バテしたときにも梅酢を飲ませると元気になった」と言う聞き書きに思わずほっこり。お孫さんが「ごはんにすごく合うね」と言いながら、おばあちゃんの鉄火みそを喜んで食べたという光景も微笑ましい。
夏の農家の時短料理、ぜひみなさまにも試していただきたいです!

「夏の山弁当」
※写真は『聞書き 群馬の食事』(農文協)より。
吾妻(あがつま)は群馬の西北、上毛かるたに「耶馬渓しのぐ吾妻峡」と謳われる風光明媚な地域(ただし、八ッ場ダム建設により、上流1/4が水没すると言われています)。 本日はこの地域での聞き書きと写真をそのままご紹介します。養蚕で忙しい夏の日のお昼ごはんについて。
「男しょうは山弁当を持って山の畑に出かけ、昼には帰らない。弁当は、冬の間に縫っておいた、はしきれを使った丸袋に入れていく。両めんぱ(曲げものの弁当箱)に麦飯を詰め、目刺しの焼いたのと味噌を入れ、きゅうりの二本も丸ごと持っていく。そのほかにひえ焼きもち二、三個も持っていって、こじはん(小昼)に食べる。」
シンプルだけど、夏の農作業に必要なものが全部そろっている。そして、なんともいえず、おいしそうなお弁当です。
